小説を出版した理由 (団塊世代の「語り部」として、後世に伝えたいこと)

昨年、私は小説『コペンの秋(上・下巻)』を出版しました。きっかけは、朝日新聞主催の「Reライフ文学賞」に応募し、「選外佳作」に選ばれたことです。
小説は、その時代の文化や世相を映し出すものだと考えています。私が執筆した目的は、近年見られる「歴史を都合よく上書きして、美化する風潮」に強い違和感を覚えたからです。
少なくとも、自分が生きてきた時代については、その時代を生きた証人として、見たこと・聞いたこと・感じたことを、ありのままに描き残したい。人間の生き様を、良い面も悪い面も飾らずに記録し、後世に伝えていきたい――その思いで筆を執りました。

私は戦後生まれの団塊世代として、戦争の爪痕を肌で感じながら育ちました。同世代の仲間と共に、戦争を伝える「語り部」の一人でありたいと考えています。
生まれ育ったのは箱根で、父は富士屋ホテルに勤めていました。そのため幼少期には、進駐軍、疎開児童、戦争孤児(米兵との混血児も含む)など、戦後特有の混沌とした人々に囲まれた環境で成長しました。中学3年では学年首席となり、県内のトップ進学校である湘南高校へ進む予定でしたが、当時「湘南高校より難しい」と言われた新設の国立沼津高専を腕試しで受験した結果、合格して進学しました。

高専では、選りすぐりの学生に対して、理系に特化したギフテッド教育が行われていました。入学して間もなくから、大学レベルの講義や実験、実習が始まります。部活動で接した上級生の数学力の高さに驚き、「すごい学校に来たものだ」と感激したことを覚えています

しかし、青春期の心は移ろいやすいものです私は中学時代に読んだツルゲーネフの『初恋』のヒロイン、ジーナイーダを「運命の女性(ファム・ファタール)」と感じていました。その影響もあって、愛や性、ロシア文学、洋楽に強く惹かれ、授業を抜け出して図書館にこもったり、街をさまよい歩いたりしました

更に、超エリート校として理系の最高学府(東大や東工大)への登竜門だと期待して高専に入学しましたが、学年が進むにつれ、「高専は完成教育機関である。産業界の要請に応え、学生の大半は5年で就職するべきだ」と盛んに言われるようになりました。
確かに、専門知識や技術の面では「大卒を凌ぐ」と評価されていましたが、わずか20~21歳で社会に放り出されることには、大きな不安と恐怖を覚えました。その焦りや戸惑いの中で、心が折れそうになった時期もありました。

その頃に味わった栄光と挫折感は、ちょうど当時ラジオで耳にしていたジョニ・ミッチェルの「青春の光と影(Both Sides, Now)」に重なっていたように思います。

拙著『コペンの秋=我が青春の想いで=(上巻)』では、地域や学校の設定は異なりますが、当時の若者の姿や時代の価値観を忠実に描いたつもりです。
続編『コペンの秋=そして、世界へ=(下巻)』については、次回触れることにします。

 

 

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