私達、団塊世代は小学校に入学すると、鉛筆を削るために全員が小型のナイフを持って登校していました。そのため、低学年の先生は安全な使い方を徹底して教えていました。その後、鉛筆削り器が普及し、ナイフを持つ必要はなくなっていきました。
今のSNSの状況を見ていると、政治家や評論家、さらにはマスコミまでもが、正しい使い方を学ばないまま、衝動的にナイフを振り回しているようで恐ろしく感じます。
しかも、それが悪い意味でのロールモデルとなり、その影響が一般の人々にまで広がっているのが、今の深刻な問題です。
私は、「ナイフそのものが悪いのではない。使い方を教え、責任を伴わせてきた社会の知恵が失われたことが問題だ」と思います。
SNSについても、「取り上げる」か「放置する」かの二択ではなく、段階的に使い方の教育と責任の仕組みを作り直す必要があるのではないでしょうか。
① 問題の本質は「道具」ではなく「教育と模範の欠如」
戦後のナイフ教育で大切にされてきたのは、次の三点でした。
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最初に危険性を教えること
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使ってよい範囲を明確にすること
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大人や教師が模範を示すこと
ところが、現在のSNSはその真逆です。
これは、小学生にナイフを渡し、周囲の大人が平然と振り回して見せているような状態で、恐ろしく感じます。
② まず必要なのは「大人側の作法」
特に公的な立場にある人間は、発言の切り取り、誤情報の拡散、煽動的な表現について、明確な倫理規範と説明責任を負うべきです。
言い換えれば、
**「ナイフを持っていいのは、まず使い方を学んだ大人から」**という順序が必要なのです。
政治家やメディアが無責任な使い方を許されている限り、一般の人々に自制を求めても、そこに説得力は生まれません。
SNSの問題は自由と規制の対立ではなく、教育と模範の再構築の問題なのだと思います。