国家100年の計は何処へ行った?

学生時代、ピーター・ポール&マリー(PPM)の「Where Have All the Flowers Gone?(花はどこへ行った?)」という反戦歌をよく口ずさんでいました。
この歌は、花を摘む少女、恋人、戦争、墓場、そして再び花へと巡っていく、命の輪廻や無常を描いたものです。
最近になって、この歌詞のルーツが、ロシアの文豪ショーロホフの小説『静かなるドン』にあることを知りました。物語の舞台は、まさに現在も戦火にさらされているロシアとウクライナの国境地域です。
この歌がアメリカで流行った1960~70年代、多くの若者たちはベトナム戦争に失望し、ヒッピームーブメントが広がりました。
現代の日本でも、若者の政治離れが指摘されていますが、そもそも魅力的な政策を打ち出せていない政治家の側にこそ原因があるのではないでしょうか。
だからこそ、今回の文章のタイトルを「国家100年の計はどこへ行った?」としました。
2025年後半には、都議選、参院選、横浜市長選、川崎市長選など大きな選挙が目白押しです。
神奈川西部でも松田町長選、箱根町議選、真鶴町議選が予定されています。
しかし近年、「国家100年の計」という言葉を耳にする機会がめっきり減りました。今の政治家たちには、「100年の計」どころか「25年の計」すら見えません。
国政では、与党も野党も、財源を言い訳にしつつ、バラマキ(給付金も消費税減税も同根)に走るポピュリズムに陥っています。
2040年問題や2050年問題といった将来課題に真剣に取り組むビジョンが感じられません。
さらに、最近では選挙制度の隙を突く不誠実な行為、行き過ぎたポリコレの要求、有識者の中身のないコメントなど、まるで学校の職員会議が迷走しているB級ドラマのような政治風景です。
そんな中で、最近の小さな希望は、小泉進次郎氏が農林水産大臣として、「5kg2000円の米支援」をたった2週間で実現したことです。
出自や資質を批判する声もありますが、実際に有言実行で示した彼に対し、「誰が代わりにやれるのか?」と問いたい。
彼は「ファーストペンギン(群れの中で最初に海に飛び込む存在)」です。つまり、「ジャンヌ・ダルク」や「ロビン・フッド」のように、時代の中の特別な存在だと思っています。
元来、私は「リベラル寄り」ですが、最近では右も左も、思想やイデオロギーを除けば、政策の違いはごくわずかです。
だからこそ今こそ、すべての政党に対して、「支援組織」「団体」「年代層」などの固定票に頼る政治からの決別を求めたい。
そして、これからの25年、つまり2050年を見据えた「国家25年の計」を、誠実に、そして有言実行できる“人”を応援していきたいと考えています。


